gradation MARBLE(りさまま日記)

日記で振り返りと思考

退院調整看護師としての想いと、自分ができること、やりたいこと、嬉しいこと

3か月の入院の末に、やっと明日退院が決まった患者さん。

患者さん自身は、かかあ天下で、旦那さんが尻に敷かれているが

なんだかとっても仲睦まじくて

ご自宅に帰って、旦那さんに指示を出しまくっている患者さんを思うと

なんだか微笑ましくなってしまうのだ――――。

 

 

現代の病院は、急性期病院と呼ばれるところは

治療が「ある程度」済んだら退院だ。

(超急性期ともいわれる病院もあるくらい!)

 

「ある程度」というのがミソで、

入院した原因の病院が安定したら退院なので、

からだがどれだけ体力をなくそうが、筋力失くして動けなくなかろうが

退院を提案されるのだ。

 

かと言って、この超高齢社会で、そんなすんなり帰れる人ばかりではない。

入院する前から、もはや動けなくなってきているのに

重い病気になってとどめを刺されたかのように、寝たきりになってしまう患者さんもいる。

 

 

そんな時に私たち退院調整担当者の登場だ。

私の場合は看護師だから、退院調整看護師と呼ばれている。

多くの場合、社会福祉士さん・・・ソーシャルワーカーさんたちの方が、

そういう調整的な役目を病院ではほとんどを担っている。

看護師はどちらかというと少数。

 

私は長らく病棟の看護師だった。

看護師10年目で娘を産んで、産休・育休明けをして2年目には

父が大腸癌で1年の闘病生活の末、緩和ケア病棟に行って亡くなった。

 

この1年の父の介護のときに、それこそ退院調整看護師の方にお世話になっていたのだが、具体的にはなんにもわかっていなかった。

介護保険の申請をするのも、身体障碍者手帳の申請をするのも

訪問看護師さんに来てもらうのも、全部、言われるがままに市役所にいっただけ。

 

自宅に看護師さんが来たり、ケアマネさんが来たり、ベッドが来たり。

誰がどんな手配をしてくれているのかもわかっていなかったし、

父の状態が悪くなって、自宅に来る人がかわってしまったのもよくわかっていなかった。(たぶん介護認定が要支援から要介護に変わったからだと思っている)

 

そして、患者家族の気持ちをようやく自分で体験することでわかった。

 

2歳児のイヤイヤ期真っ最中の娘が泣き叫ぶ中

仕事から帰って人工肛門のパウチを交換したり

痛い痛いとぜーーんぜん動けなくて途方に暮れた日々

あれは・・・今思ってもしんどかった。

こんな思いで患者さん、ご家族は自宅でがんばっておられたんだな・・・と思うと、

私って本当に何にも考えていない、ただ目の前の仕事をこなすだけの看護師だったんだなぁ・・・って思うようになった。

 

こんなんじゃいけないって思っていたら、

巡り巡って地域包括支援センターへの異動があって、

3年間働いて今や私が退院調整看護師だ。

 

在宅でがんばっている方々を見ることができたのは大きな経験だ。

全然勉強不足だけど、病棟で働き続けていたらわからなかったことも

経験できた。

退院調整は、自宅に帰るだけじゃないし、転院することもあるし

なにがその患者さんにとっての幸せで、よりよきで、

人生の分岐路をいっしょに決めていくのだ。

 

なにもかもが、思うとおりに行くわけじゃない。

病気が治らないことだって

老いて元気になれないことだってある。

それを受け入れてもらうように働きかけたり

Drや病棟の看護師さん達、リハビリの先生たちに相談する、教えてもらう。

 

明日、退院する人は長いこと入院していて、ようやっと家に帰ることができる。

一度は退院延期になったし、でもあきらめないよって、

本人にもご家族にも声をかけて

たくさん支援についてくれる人ともつなげて

なんとか、家に帰れるといいな、帰ってほしいな。

 

素敵なご夫婦の自然と喜びが溢れ出ちゃう雰囲気に

私もとっても幸せな気持ちになってしまった。

すごく嬉しい、素敵なお家でご家族と過ごす

当たり前のことがこんなに嬉しいなんてね…

 

すごく大変でお腹が痛くなるくらい迷い続けて

先生や看護師さんたちにまだ退院させられないのか!って怒られることもあるけれど

なんとか、よりよい方向で、ご支援できたらなーーーと思う!

 

あーーなにごともなく、退院できますように!!!