新年2日目は、パパの実家へ久しぶりに集まった。
コロナになってからは、義母がガンになって化学療法をしたこともあって、しばらく集まることを避けていた。
コロナが5類になったあとも、なんとなーく再開していなかった。
久々に集まると顔ぶれも変わっている。
子どもたちが大きくなった、数も増えた。
親戚のおじちゃんたちが今回は来なかった。
おじちゃん、義母にとってのお母さん、私の娘にとってひいおばあちゃんは数年前に亡くなったからなのか、急遽集まることが決まったからか。
パパのお姉さんもずっと仕事が忙しく走り回っているようで、しばらく会っていない。
時が経てば変わるものだと、しみじみ思う。
喜ばしさと、寂しさと。
高齢の初詣も行った、すごい賑わい。
基本的にはヒッキー気味の私だし、自分が育った家庭では初詣の文化はなくて、お嫁にいってパパに初詣に誘われても、面倒で仕方なかったことを思い出す。
今や、いつか熱田神宮に挑戦してみたいくらいに、なにかそういうパワーをもらうとか、儀式的なものにも関心がある。
やーお正月の熱田神宮はしんどいから、平日に行ってみよう・・・。
すごい人数で、ゆっくりお参りなんてできなかったけど、みんなが平和でいられますように、願ってはいられない。
私の中ではいつもそうだ、だれもが悲しみや辛さや、苦しみを感じない世界であってほしい。
でもね、そういう悲しみ、辛さがあるからこそ、喜びもひとしおなんだよね。
冬の寒さがあるから春の暖かさが待ち遠しくて、幸せに感じられるわけで
辛い時があるからこそ、ささやかな幸せが本当にありがたいものだと思えるわけで。
人生で辛い時、悲しい時があるからこそ、その人がより強く、逞しく、しなやかになれるのだ。
その時こそ本当に辛いし、どうして自分だけ・・・と思ったとしても、過ぎてしまった後の自分は、またひとつ大きくなれる気がする。
ただ平和で、穏やかでと願う中にも、そういう試練のようなものが来たときに、そっと寄り添える社会であってほしいと思う。
たまたま不運な目にあった人をたたくのではなく、支えられるように。
そんな世界を創りたいと心から願う。
優しい言葉、温かい心、寄りそう気持ち…
本来、人にはそういうものが備わっているよ
慌ただしい中、人ごみの中、そっと願った。
この子たちが優しい世界で安心して伸び伸びと生きられますように