人をグルーピングするな
レッテル貼りも大嫌い。
勝手に名前を付けて、勝手にその名前のイメージで決めつける。
そんな横暴で、頭を使わない方法がまったくもって違和感しかなくて
好ましく思えないのだ。
男性とか、女性とか
高齢者とか子どもとか
お兄ちゃん、お姉ちゃん
旦那さん、奥さん、お父さん、お母さん
日本人とか、○○人とか
職業で名前をつけたり
繊細だとか、鈍感だとか
○○が好きな人
どこどこ地方の人
患者さん、障碍者・・・
○○病の人(個人的に、病院の中はこう呼びがちになるのが嫌)
いろんな呼び方、役割はあるけれど
それはただ呼び方や役割なだけであって
「その人」にはきちんと名前があるのだ。
「その人」が生きてきた人生や生活、いろんなものがあっての
「その人」だ。
そのグループや、レッテルは、そういう傾向があるだけ
例外もあってしかるべき、当然のことなのに。
「女のくせに勉強する必要なんかない」
そんな風に父親に言われた。
私は学ぶこと自体好きだったし、興味があったし
がんばって勉強して、少しでもいい学びのできる学校へ行って
看護師として誰かの役に立ちたい…そう思っていたのに。
「女のくせに大学に行く必要なんかない。」
頑張って大学で学んで、看護師の免許もとって就職したのに
「看護師なんて仕事は大したことがない」
なんなんだ、私の生き方を女ってだけですべて否定しやがって
もう20年以上も前になるのに、
もう父親はこの世にいないのに
目の前で起こっていることのように思う。
私は女だけど、その前にあんたの娘だし
その娘にまったく興味がなくほったらかしだったのに
何を言うんだ…
父親とのことがあるから、
女のくせにとか女性差別とかに敏感なのかもしれない。
だって私を見ていない、私のことを大多数の女性といっしょと扱うのだ。
その大多数の女性それぞれに、気持ちも、心も、がんばってきたこともつらかったこともあるはず
それを見ないなんてありえない!
それは男性にも言えるし、それぞれにレッテルを貼られたグループの個々の人を見てもいっしょのことだ。
そうだ、その人の気持ちも心も、生きてきたこともまるでなしにする行為がレッテル貼りだ。
他の人といっしょにするな!
私は私だ!
そんな気持ちふつふつとわいてくるんだ。
グルーピングしたり、レッテルを貼るのは
傾向を見たり、その傾向から見出されることに対して
大きな効果をもたらすのにちょうどいいのかもしれない。
だけど、それは、本当の意味での多様性から遠ざかっていくし、
個々の人へ思いを寄せる、その思考する力を失くしていくことだ。
個々の人に思いを寄せるなんて無理だとか、無駄だとか言う人もいるだろう。
だけど、その無駄だという人に自分が当たるとしたら…?
やっぱり、「その人」の気持ちや心の動き、価値観、考え方を大事にしたい。
合わない人はどうしてもいるから、すべての人、というわけにはいかないけれど。
誰かのことをグループの一人のように扱ったり、
レッテル貼り=先入観を持って見ないように
細心の注意を払うようにしている。
だって私も、私として扱われたい、見られたい。
モヤモヤッとする気持ちがなんとなーーーーく言語化できたかな…?