gradation MARBLE(りさまま日記)

日記で振り返りと思考

言葉にすることの大切さ「自分の家の畳の上で死にたい」って言葉を聞けて良かったなぁ

末期がんの90代のおじいちゃん。

(下のお名前で呼ばさせていただいたから、あえて、親しみを込めて、おじいちゃん)

すっごく頭もしっかりしていて、いろんなことに気が付いて。

家族に迷惑かけたくないから、病院を変わるか施設に入るって言っていたのに

本当はどこで最期を迎えたいの?って初対面で聞いてしまったら

 

本当は自分の家の畳の上で死にたい

 

って教えてくれた。

 

本当は自分の家に帰りたい。

 

思い出いっぱいの、いろーーーんなことがあったお家に帰りたい。

すごく自然なことだなあと思う。

叶わないかもしれなくても、叶うかもしれない状態にして退院するのも私の仕事だと思う。

お家に帰れる!ってなってからのおじいちゃんは、すっごく笑顔が増えて、あれはどうしよう、これはどうしようってすっごく考えだして、生き生きとしていた。

なんとなくご家族に遠慮して、甘えることができないみたいだし、きっと今まで何でも自分でやってきたんだろうな…

 

自宅に帰ることが決まって、毎日おじいちゃんに会いにいった。

何が心配で、何に気がもめるのか、家族に頼めていないことは何か。

家族の仲が悪いわけじゃないし、ただおじいちゃんがご家族に遠慮しているだけ。

でもここまで来たら、最期のお話をするのなら、思っていることは呟いた方がいいよね…。

 

「自分の家の畳の上で死にたい」って言葉に出してくれて本当に良かった。

 

言葉にして、誰かに伝わることで、ぐっとそのチャンスが近づいてくるような気がする。

心を開いてくれること、言葉に出してくれることってなかなかできることじゃなくて、おじいちゃんが気さくに話してくれて、ぽろっと言ってくれてすごくよかったなぁああああって思うのだ。

何も考えずに、病院がいいのか、施設がいいのか

実際に家に帰るよりも、不安が大きすぎて、病院や施設に入る人だっている。

 

本音を聴くって、やっぱり信頼関係ができていなきゃいけないし、ご本への興味があります、力になりたいです!って態度を自然に、本心から思っていないと聴けないよなあ。

この人なら話してもいいかも、って思ってもらえたらすごーーーーくありがたい。

ましてや最期の時のお話なんて、誰にでもできるもんじゃない。

でも案外他人の方が話しやすかったりするのか?

医療従事者だからかも?

 

今回は何より、おじいちゃんの心の広さや、明け透けのなさ、そもそも90代っていう最期をいつ迎えてもいいって状況ってのもあったよな…

 

でも、大事なことだから、時間がなければ私は聞く。

先生からどんな風にきいていますか?

ご気分を害されるかもしれませんが、先生からどれくらいのお時間があるとお聞きですか?

最期の時はどこで迎えたいとお考えでしたか?

今の状況を見ていると、私は医師ではありませんが、看護師を長くやっている経験上、覚悟を決めておかないといけないかもしれません

…なんてご家族にお伝えることもあったな…。

 

相手の気持ちの動きや表情や、時間が許すのか、許さないのか

いける、と思った時か、いかないと絶対に必要以上に混乱させてしまう、と思う時はお伝えしてあげたいと思う。

心の準備をしておいてほしいし、ある程度予測されるのなら伝えたい、受け入れの準備をしてほしい。

そして、限られた時間を大切に過ごしてほしいから。

もう、これは肌感覚に近いのだけど…あぁ、長く看護師をやってきたおかげだよね

 

そして、おじいちゃんが言葉にしてくれたこと。

これは、最期の時を迎える場面だけじゃなくて

自分の気持ちを言葉にすること、伝えることできっかけになって

自分の思い描いた方向へ進めるんだなって思ったな。

 

宝くじは買わなきゃ当たらないじゃないけれど、

自分の気持ちを誰かに伝えることで、なにかが変わる…かもしれない。

なんて。

あぁ、おじいちゃんが無事に家に帰れますように。

私がとってもお世話になっている、看護師さん、ケアマネさんがお力を貸してくださることになった。今日は往診の先生も含めて顔合わせがあって、すごく会話も弾んでいて、ご自宅でおじいちゃんと看護師さんやケアマネさん、きっと先生とも、和気あいあいと会話をするんだろうな・・・なんてイメージできた。うれしい。

 

自分が立てたお家に、盆栽を眺めたり、お世話したり・・・体調に合わせて過ごせたらいいなぁ。ご家族といっしょに、良い時間を過ごせたらいいなぁ…

 

週明けには退院だ、絶対に見送るんだ、きっと大丈夫!!