「もうがんばりたくない」
そういった患者さん
7年以上癌と戦ってきて
何度も手術をして、抗がん剤もずっとやってきて
身体が思うように動かなくて
何度も転んで3回も骨折したんだって
「もうがんばりたくない」
今回の入院で最後になるって思って来たのだそう
食事が全然食べられない
食べられないから治療もできない
そもそも食べるだけの元気がなくなった
先生とご家族といっしょに病状説明を聞いて
頭にも転移があって、ときどきわからなくなることがあるけれど
「もういいよ、看取りにしてほしい」
はっきりと自分の言葉で言ってくれた
無理をさせない、穏やかに痛くないように苦しくないように過ごす方針となった
穏やかに過ごせる療養病院へ転院の調整をして
転院日が決まったことをお伝えしにいった時
声にならない声で
「私はもう長くないと思う…話を聞いてくれてありがとう、もういいって言えてよかった」
なんてことを言って、長い闘病生活と人生の最期を思うと涙が出てきてしまった
ご家族はとってもこの方を大事にしていて
でも本人がはっきりとそういうのなら、と一生懸命動いてくれた
忙しい病棟の中では声が聴けないことがある
担当も変わるし、せわしないし、日々の業務で手一杯だ
患者さんの本当の声を聞くのって難しくて
今もうお1人、最期の時を迎えようとしている方がいるが
本人もご家族も受け入れられない
そう言っているうちにご自宅にもどる時間が、命がどんどん燃えていく
弱っていくことを受け入れる強さも時には必要なんだと思う
いずれ年老いて誰だって、産まれた以上最期のときがやってくるのだから
戦い抜いていく人もいれば、穏やかな時間を望む人もいる
それもその人の人生なんだと思う
ただ、最期は必ずやってくる、どう最期を迎えるのかは誰にもわからない
そして、最期の先は誰も教えてくれない
だからこそ、死への恐怖や不安が大きいのだろう
人って未知の世界へ突き進む生き物なんだろうな…
その答えはその人にしかわからないし
遺された人が勝手に想像していくのだろうか
ただ、自分の気持ちを言えて、その通りに動けて
ご家族も納得してくれていた
あの患者さんは、お手伝いができてよかったよね…?、と思えている