gradation MARBLE(りさまま日記)

日記で振り返りと思考

常識や世間の当たり前で決めつけない、看護師としてオーダーメイドの関わりをしたいヨ

 

病気なったら治療する

手術する

癌になったら告知は必須とか

畳の上で最期を迎えたいとか

当たり前のようで当たり前じゃないかもしれない

 

医学はむかーしむかーしから

色んな研究と試行錯誤とたくさんの犠牲の上に成り立っていて

ある意味統計学のよう

この病気にはこの治療法、お薬がいいですよー

なんて、まるでお料理のレシピのようだ

 

何パーセントの人には効果があって

何パーセントの人には副作用や合併症が起こります

 

って確率問題、その何パーセントに入ったら?入らなかったら……?

自分一人に当てはまるのなら100%だ

 

さて、がんの告知と

畳の上で死にたい問題

 

がんの告知は基本的にはした方がいいと思う

そもそも告知されなきゃ治療ができない

なので、癌の告知自体はほぼ確実に最近ではなされている

 

治る確率が上がったことと社会の認識の変化にもよるだろう

私が看護師なりたての頃は、告知を控えるパターンも何度も見かけてきたから進歩したのだ

知る権利は本人にある、なぜ私たち医療従事者が人生の主である本人よりも病気のこと予後を知ってるんだい…?ってモヤモヤすることもしばしばあった

……ただ、なんでもかんでも告知したらいいってもんじゃない

 

新人の頃、学生で習った、癌の告知はするべき!って深く考えずにいた私

予後の告知をされた後あんまりにも不安が大きすぎて、

「いつか死ぬんだ、ガンになったから死ぬんだ…」って思い詰めていっつも怯えて過ごしていた患者さんがいた

告知の後あっという間に調子悪くなって、「もう死ぬんだ……」って恐怖のどん底の中亡くなってしまった

ベッドの上で怯えて、丸まっている姿が未だに忘れられない

ガンであることは伝えても予後は告知しなければ良かった…?

知らない方がいい人もいる……?

なんて、20年近く前の話だけど、なんでもかんでも話せばいいって訳じゃない

知りたくない権利だってあるのだ、これは事前に丁寧に確認しておいた方が良さそうだ…

 

そして自宅の畳の上で死にたいってやつ

誰も彼も家に帰りたかろうと思うけれど

自宅に帰るのが怖い、病院にいたいって人は多くいる

家に帰れなくなるよりも、安心を取りたい人も世の中にはいる

痛い時、苦しい時、すぐに対応してほしい、家にいる方が不安…

そういう考え方もあるよな、往診、訪問看護色んな方法をお伝えしても

それでも病院や誰かのいる施設がいいって考えの人もいる

 

みんなの当たり前や世間の当たり前にとらわれちゃいかん

治療をするしないも、検査するしないも

病気のことを知るのも知らないのも

家に帰るも帰らないも

みんなその人の価値観、考え方、家族や経済面、色んな要素で決まる

統計学的なやり方も大切だけど

その人それぞれに合わせたオーダーメイドな方法が必要だ

 

そのためには、

相手をよく知ること

色んな可能性があること

意識して、何がその人にとってその時のベストか一緒に見極めたい

常識に囚われすぎるな……フラットな気持ちで決めつけずに患者さんご家族に接するようにしている

 

丁寧に関わって、信頼関係を作って

とても手間のかかる、時間のかかる作業だ

本来なら丁寧に丁寧にやりたいところだけど

急性期の病院は早く退院させろと圧力はあるし

本人の容態が待ってくれないこともあったり

まるで突貫工事のようになってしまいがち

現場がどれだけひーひーいっているのか

患者さんご家族から早すぎる!そんなの決めれん!って怒られたりしてるの

ルールを作るえらい人達にもっと知って欲しいし、考えてもらいたいものだ

 

今日もまたジレンマの中、ご自宅への調整を進める

でも、今回も心強い方々が支援してくれそうだ

懐かしい仲間にも力を借りれそうだ

安心してお願いできるチームで穏やかにご自宅で過ごして欲しい…

 

先のことはわからないけれど

良い未来への切符になりますように

この手に握りしめたバトンを託す作業を、退院までコツコツと進めよう

 

頭は柔らかく柔らかく

心も広く広く

私の心情だ