gradation MARBLE(りさまま日記)

日記で振り返りと思考

痛いを比べるのはナンセンスだ、その人にしかその痛みはわからない

紙で指を切った。

 

3連休明け、入退院をまとめた用紙を金曜日から月曜日まで

自分の担当する部署と、ペアを組んでいる人の担当部署の分。

 

みんながみんな、思い思いに印刷して、出所は同じプリンターだから、いつもより分厚い紙の束を担当に振り分ける。

 

普段の月曜日とは違う業務量に焦って、紙で指を切ったみたい。

 

紙で肌を切るのって、そう深い傷にならないし、派手さはない。

 

だけど、地味に、イタイのだ。

 

指を曲げ伸ばしする時、手を洗う時、服にこすれた時

所々でピリッとした痛みがやってくる。

アルコール消毒を無意識にやった時は、ちょっと声でそうだったな。

 

そして思うのだ。

 

こんな地味な小さな傷だって、私の生活の質は落ちる。

集中力を途絶えさせて、思考を分断する。

 

じゃあ、大きな傷を負った人は?

手術を受けた人は?

ガンの痛みと戦う人は…?

骨が折れた、事故にあった、痛みを伴う病気の人は・・・?

 

想像するのが恐ろしい、こんなちょっとの傷でも痛いのに。

 

私は、小さな傷だろうが、大きな傷だろうが

どんな痛みだろうが、軽くしてあげたい、なしにしてあげたい、と思う。

 

多少の差はあれど、「痛い」のだ。

その「痛み」を大したことない、と片付けたなくない。

だって、その人の人生を狂わしているかもしれない。

当然のようにある、穏やかな何事もない時間を奪っているかもしれない。

 

そう思うと、ないがしろにしてはいけないのだ。

 

我慢するのもすごいこと、強いなって思う。

人によっては薬を使う方がストレスで、違う苦しみになるのかもしれない。

まったくゼロにできない痛みだって見てきた、薬で眠らせるしかない苦しみも見てきた。

痛いとか、苦しいとか、比べっこできない、比べるなんてナンセンスだ

その痛みは、その人にしかわからないのだ

誰か、他人が評価するなんて、基本的にはできない・・・って思ってしまう

とくに、看護師がおおげさだ、大したことないって

忙しさに任せて単純に評価するのは悲しいことだなって思う

(痛みに弱い人、強い人これも様々、身体のいたみだけじゃなくて心の満たされなさや他の要素があるかも…と思いたいところ、看護師にマジで時間的余裕を持たせる業務体系にしてほしい!!!)

 

あぁ、イタイて、辛いって、苦しいって

どうしてあるんだろうね。

イタイ、があるからこそ、余計なケガをしないようにインプットされている・・・とは言われるけれども、医療に伴う必要な痛さって極力減ってきたとはいえ、まだまだあると思うのよ。

(現代人は些細な痛みとか異変に鈍感になってきている気がする、忙しすぎて)

これだけ医療が発達してきて、そういうところに力を全力で尽くしてほしいと真に思う。

人が苦しむこと、なくせるものなら、なくそうよ。

そのための技術であると思うの!

 

個人的にはマジで胃カメラのおえおえの苦しみと、婦人科の内診の痛みを失くしてほしい!!!!!

 

そして最後に大事なこと。

同じ身体の痛みでも、心の持ちようで感じ方が変わること。

気合とか、そういうわけじゃなくて

安心感とか、悲しさとか、寂しさとか、不安とか、自分が大切に思えないとか

そういうマイナスの感情が、痛みを感じやすくさせる。

 

薬を使うのも大事だけど、心の安寧があることも大事。

人間、痛みに対しては、身体を守ろうとして

フォーカスしてしまうものだから

気を紛らわせるのも大事

 

身体も、心も、同じところにあるから

大事にしてあげたいと、思うのだ

 

今日の感謝3つ

①いつも明るく声をかけてくれる、ほぼ同時に入った同僚の人。面白くて愉快で、元気で、私のおふざけにも笑ってくれる。感謝!

 

②娘の予防接種のために、仕事を調整して休みをとってくれたパパさん!

ありがたい、マジでありがたいぞよ。

 

③もと大先輩の看護師さんの同僚が、今後のスケジュールについて忘れていないか、いろいろ気にかけてくださって、嬉しかった!!!