看護学生の頃、実習のとき悩みに悩んだ看護計画
入院患者さんの病気や状態に合わせてどう目標をもって看護していこうって立てる計画だ。
学生の頃は先生に「個別性!個別性が大事!」と言われて怒られたものだ。
たぶんこれは看護師やっていたら、同じ経験をしている人多いと思う。
そもそも、「個別性」って何やねん
いつもノートとにらめっこしては、個別性・・・?はてなんじゃろか
と、苦しんだものだ
(具体的に教えてもらわないからよくわからんくなるのだ)
麻痺のあるの患者さんは、着替えのときはどっちの腕を通してから…とか
この患者さんはこういうのが好きだから、気分転換になるように体拭く時はこうしようとか…
「その患者さん」に合ったオーダーメイドの計画を作る!ってのが個別性だと個人的に思っている
(とはいえ、業務が超絶繁忙なので、実際の病院はあらかじめこの病気にはこの計画!とテンプレートみたいなものが出てきたので、看護計画っているんかな・・・と思うくらい一般化して個別性とはかけ離れているように思う、うん)
今思うと看護師って本来の「多様性」を学生の頃から学んでいたのかもしれない
看護協会やら、看護の倫理要綱やらそこには、
看護師は、
性別だったり、年齢だったり、人種だったり、宗教だったりそういうものに、とらわれずに、公平に、患者さんをケアしなさいみたいなことが書かれていた…
(というあやしい認識)
看護の前では、患者さんは、皆平等危険もない、どんな人だって、ケアして、しかるべき・・・!
なんとなーく学生時代の看護計画を苦しんだことを思い出したら、そういや、個別性ってすごくいいことを学ばさせてもらっていたんだなぁ、なんて考えるようになった
ある意味時代に先駆けていたんだよね
看護って、ナイチンゲールがクリミア戦争で活躍した時からあるんでしょう
ものすごく先進的で人に対する権利を大切にして、
とても平和的ですごく敬意を表されるべき仕事なんじゃないだろうか…?
なんて誇りにも思えてきた。
今現代になってから、「多様性!多様性が大事!」と言われているけどさ
あたいら、ずいぶん前から学んでいたのさ!
(本当に理解できていたかはあやしいもんで)
でも、結局上辺だけね、なんでもかんでもオッケーみたいなところもないかい?
とりあえず「多様性だもんね!」って言っとけばOK!な雰囲気がちょっと危ぶまれるよ
本来の多様性というの?
その人「個人」をしっかり見て
国とか、人種とかいろんな背景とか、性別とか価値観や考え方とか、障害のあるなしとか、貧富とか社会的地位とか気にせずに、「その人」を見るものだと思う
この世に生まれた尊いたった一人の人のことを思い考え
その人の幸せを未来を輝かしいものへとしていくものじゃないかな・・・
そして何より、私自身も、その一人の人として扱われること
だからこそ、お互いがお互いの一人の人と認め合い、お互い意見を尊重し、お互いを認め合い、お互いを大切だと思い、お互いが大切で、大切に貴重な存在だと思える…
そんな社会が「多様性」の社会なんだろう
別の学生時代からこんなインクルーシブな学びをしていたっていうことは貴重なことで
今の今になってあれ?そういえば…?って気づいて
もう20年以上近く前の話で、もったいないことをしたなって思いつつ
今になってハッとしたのは、それなりに引っ掛かるものが私の中にあったのだろう。