gradation MARBLE(りさまま日記)

日記で振り返りと思考

娘が9歳を迎えて、親としての振り返り。心の成長の時代をどう付き合っていこうか。

娘を産んで9年を迎えた。

(0歳を1年と考えると10年なの?その辺の数え方が非常に苦手)

 

12月3日は娘の誕生日。

すごく覚えやすい、1、2、3の数字の並び。

 

娘は帝王切開で出してもらったから

出産日は、娘がお腹に来た頃からだいたい決まっていた。

娘を授かる前に、子宮筋腫で子宮を一度切ったから

子宮破裂のリスクが高くなるから自然分娩よりも

帝王切開の方がいいらしい。

 

帝王切開の日は2015年12月3日でどうですか?」

普通に産んだ場合の予定日がどうとか、誕生日いつになるのかわからない、なんてことはなく、人工的に、お医者さんと相談して決まるのがすごく不思議だった。

手術室の枠が空いてたら、自分で誕生日選べたのかな、と思う。

 

よく聞く、陣痛がいつくるかわからない、とか陣痛の辛さとか、私は知らない。

ちょっとだけ、私のコンプレックス。

 

娘がいつかママになる時が来るとき、私はあまりアドバイスしてあげられそうにない。

娘がママになるかどうか、結婚するかどうかは完全に彼女の自由だが。

 

私のお腹から卒業してもう9年。

あんなに難にもできなくて、目を離したすきに死んじゃいそうな儚い存在だった娘。

 

今や自分でトイレにも行けて、ご飯も食べられて、お風呂も入れるし

お話もとっても上手。

英語なんかも覚えちゃって、漢字も算数もできるようになった。

思ったよりもずっと、ずっとできることばかり。

イクラなんて私より素敵な建物をたくさん作ってくれるしね。

 

小学校に入ったくらいから、基本的な生きる術は身に着けていて、だけどやっぱりまだまだずっと子ども。

小学校1年生の時は、クラスで知らない子や、たくさんの同級生にもまれて、いろんな悩みもあった。

近所の子と上手く付き合えずに悩む日もあった。

 

あぁ、心の成長の時代が始まったんだ。

 

なんて思ったりしたな。

小学校の壁って、ここにあるように思う。

たしかに保育園みたいに遅くまでいられない、とか、親側の苦労もあるかもしれない。

とはいえ、子どもの成長の質が変わってくる。

 

そしてどんどん、自分とは違うのが明確になってくる。

 

親の鏡のようなときもあれば、自分が子どものころってこんなだっけ・・?なんて比べてみたり。

 

私が職場で感じる、「私とこの人は違う」が娘にももちろん当てはまるのだ。

 

娘の考えること、娘が大事に思うこと、娘が嫌なこと…

たぶん何もかも違う。

ただ、娘自信がそれを知るのは、きっと年月をかけて、自分の心が感じるものをきちんと振り返り、見つめることが重要なんだと思う。

 

今や、まだまだやわらかい、柔軟で純粋な心。

他者やいろんなものから影響を受けやすい。

それこそ、学校のお友達、先生、テレビやYouTubeやらどんな刺激にも反応して感化される。

 

ただ、それが正しいのか、自分が良いと思うものなのかの判断は、つけられないと思う。

どんどん、他からの影響に娘が染められてしまう、と思う。

私のキャパシティのなさで、すべてを見ることはできない。

そこが不安だ。

ただ、どこかで時間を取って、娘に感じる違和感をいっしょに振り替えられたらと思う。

 

その言葉づかいは果たして、あなたが選んだ言葉なのか。

その態度は、だれからの影響なのか、娘が選んだのか・・・。

 

矯正するとは違う、娘が娘らしくいられるのは、大人がどこかで一緒に娘の気持ちや考え方を確認できるといいんだと思う。

 

あぁ、子育てってすごくすごく難しい。

 

あと1年で10年になる。もうあと少しで大人だ。

彼女が苦しんでも悲しんでも、生きていいるうえで避けられないことだ、どんなときでも彼女が大切で、私たち夫婦の愛するべき存在で、宝物で、ということは伝え続けたい。

 

親として私も9年なのだ。

8歳の娘とサヨナラして、9歳の娘と新しい1年を生きていく。

ただ、娘が私のもとに来てくれた幸せをかみしめて。

 

お誕生日おめでとう、娘ちゃん。

大好き

たぶん一生かわいくて、大好き。