gradation MARBLE(りさまま日記)

日記で振り返りと思考

立場が違えば視点も違うし、当事者じゃないと真には理解できないよね

立場によって物の見え方が違うよね

 

たまたま友人の親御さんが病気になって退院調整になりそうなのだけれど、

「友人の親」として話を聞いていると、

あ~こりゃ~大変だ、なんとかなるといいけれどな…と思うものだが

 

これまたたまたま同僚がその友人の親御さんを担当することになり

介入している様子を聞くと

あ~確かにそういう見方もあるわなーーー!

とも思ったものだ。

 

友人としての立場と

退院調整担当者としての立場

 

同じ人に退院するという同じ目的で関わるとしても…

入院後の施設解約するにしても

友人……施設に不信感持って解約するのわかるな…

退院調整……元気になったら戻れるのに何施設解約してるの??

なんて視点があるのに気づく

 

確かに急性期の病院は早く退院させたいから

気に入らない施設なら

戻ってから施設と直接相談して

他の施設を探して変わればいいのに……という気持ちもわかる

私も退院調整としての立場だったら、帰る場所なぜなくした…?!となるよな…

 

だけど、友人からしたら、体調悪くなっても

しばらく受診させなかった…なんてこともあって

命も危ないんじゃないかってことになったので、

帰りたくないって気持ちもわかる

以前に施設はちょっと…と言っていた人が病状が悪くなって

やむなく施設に戻れず病院へ移った人もいた

でもその人たちも不信感で戻りたくない、が根っこにあった

 

何もできない立場ではあるけれど

双方の立場を知ってモヤモヤしつつ

これもひとつの学びだと思う

 

個人的にはできる限り、入院前の経過を知って

なぜ自分のところの病院にたどり着いたのかを知るようにしたいと思う

何事もなく過ごしていたのか

大変な介護の中でもう家ではやっていけない、と困っていたんじゃないか

家族関係は?本人と家族でどんなやりとりをしてきた?話し合いしてきた?

などなど

 

病院って長い人生の中の点でしかなくて、

一瞬でしかない

病院にいると、病院での姿しか見ていないから

病院でなんとかトイレまで行けると思っても

自宅じゃ段差も距離も捕まるものもなくて行けないよねってことも

多々ある

酷いと治療が終わったから、はい、退院!で

全然動けない、あんまり食べられない人が退院してすぐ戻ってくる

早期退院に目が行き過ぎると

それなりの準備もないまま退院して

すぐに帰ってきたら

結局二度手間、三度手間で入院期間もより長くなって

余計医療保険使うことになるんだけどね…

 

さて、立場の違いがあると視点が違う、から

当事者になってみないとわからない

も生まれてきた

 

患者家族の立場になって気づくことってたくさんある

看護師として関わってきて、

父が癌で入院した時

めちゃくちゃ酷い看護師だったなと反省した

こんなに家族を看護、介護するのってマジで大変

想像力のなさと、想像力の限界を知ったな

そういえば、月経過多でど貧血になって子宮筋腫取る手術した時も

患者体験ができて、あれも良かった

手術後に傷が痛くて痛くて仕方なくて何度も背中の痛み止めのボタン押したり

朝まで安静だし身体中に管やらなんやらついて、めっちゃ動けなくて身体あちこち痛かったし…巡視に来る看護師さんが優しくて、看護師さんってすごいなーーって(私も一応看護師)

帝王切開の時も、色々助けてもらったなーーーー

入院生活と父の介護は看護師人生で本当にいい経験になってると思うのだ

 

そして、女性であるから男性のことはわからんし

特に親になって子育ての大変さの真実を知ったり

高齢者の苦しみはあと数十年後にわかるのかな…

障害を持つ母の大変さは、やっぱり細かくはわからないよな、とも思ってる

 

その人じゃなければ、絶対にわからないのだからこそ

想像してわかろうとする努力と

絶対に分かりきることは無い、ってことを肝に銘じてる

わかった気になるとか、失礼だし、だからといって辛さを分かろうとしてくれないのって悲しいじゃん

 

立場の違いから、この人にはこういう風に見えるんだーっていう発見と

当事者にならないとわからない、っていう学び!

だからこそ、いろーんな人と関わることや意見をもらうのって大事だなーーと長々となったけど、まとめたいなーー