足りないものを補う
それが看護でも
退院調整でも
家事でも
子育てでも
仕事でも
いろいろに当てはまると思う。
自立
ってことは素晴らしいと思う。
若くて元気な成人した人なら、まぁなんとか自立できる人が多いんだろうけど
でもさ、生まれてこのかたは、「親に助けてもらう」の全振りなわけで
だんだんできることが増えてこその親離れ→自立、なわけだ。
誰しもが最初から自立できたわけじゃないんだよね
そう、みんな足りないものだらけだったわけだ。
で、自立できたと思いきや、そこから年を重ねれば重ねるほど
また足りないものが増えて、最期を迎えるころはまた足りないものだらけになっている
とはいえ、
元気な若者だってすべて自立できる人ばかりかというと、生活能力がちょっとうまくできなくて、家族に頼ったり、お金で解決したり、
全部自分でやる!
なんて難しい話なのよネって思うのさ
(たまにご年配の男性患者さんがなんでもできるわーって切れ散らかされるけど、入院している時点で、誰かの助けを借りているわけで…)
さらに厳密に考えれば、野菜とかお肉とかいろんな食べ物も誰かが作ってくれて
それを運んでくれて、売れる状態にしてくれて売ってくれて…
自分に買いに行けなければ運んでくれる人もいる
快適な空間も、かわいいとか、おしゃれとか機能的なお洋服も
スマホだってパソコンだって、なんなら形のないインターネットの世界だって
生活していく上で、一人でなんでもできる!なんて
もはや無茶な話、土台無駄な話なのだ
どんなになんでもできる!って人だって、やっぱり何かしら足りなくて
何かに頼るなんてことはある
屁理屈こねて…ってなるかもしれないけど
それこそ、グラデーションで足りないものの濃淡はあれど、どこからどうっていうはっきりした線引きはない、程度の話になるだけ
病気になったり、事故にあったり、障害を持ったり、
思わぬところで、足りないことが増えることだって、誰にだって可能性はある。
生きている以上、他人事じゃないし、ドラマとか映画の話なんかなじゃくて
誰でも、社会の中で足りないものだらけの弱者になる可能性はあるのだ。
そう考えると
大なり小なり、私たちは何かが足りなくて間違いないし
それがいいとか悪いとかじゃない、って思う。
私は十分充足しております。
と思いたくても、未完成、未熟、なのだ。
でもこれを弱点だとか、ダメなところ、とかそんなレッテルを貼る必要なんてない。
むしろ、みんな足りないものがあって当たり前のなのだから
それをどうやって補い合うのか、が大事なことだと思うの
足りないものがあって当たり前でいいよねって、お互いを認め合って
じゃあその足りないものをどう補いましょうかって
お互いに考えられる社会で、世の中であってほしい
看護でも
家族の中でも
子育てでも
地域でも
仕事でも
いずれ私も補ってもらうものが増えるときがが来るから
できる限り、増やしすぎないように
そして、補えることができるように
そうして社会の一員としていきていきたいなぁ…
今日の感謝3つ
①娘のインフルエンザの予防接種で、定時であがらせてもらえてありがたかった!
仕事が3連休明けなのに、そんなになくて落ち着いていたのも良!
②いつも質問事項にすぐに早く返答を下さる先生にマジで感謝すぎる…!
③新人さんが困っていて、いろいろと教えてあげたら、なんかがんばって動いてくれて、すごく助かった!素直な新人さんに、感謝!若い子が頑張ってるのを見ると自然と嬉しくなる!