今日は父の7回忌だった。
実際に父の命日は4月であって、お寺さんの都合で少し早めになった
父は令和になる直前に亡くなった。
平成31年4月14日。
亡くなってから間もなくして、令和が始まった。
そう思うと、わかりやすいね、なんて話をしながらずいぶん経ったものだと振り返る。
娘はあの時、地域の保育園に入学したばかりだった。
新しい環境、生活、家族がバタバタする前から、父の介護は始まっていた。
私にとって父は、いい父ではなかった。
いつもパチンコに行っていて、仕事とパチンコの往復。
家にいることなんてほとんどなし。
足の悪い母は、車に乗ることもできないから、幼い私をどこかへ連れて行ってくれ父に願ってやっと出かけたと思ったら、車を出してものの数分で
「もう帰ろう」なんて言っていたし。
自分の好きな野球とか、スポーツ関係は連れ出してくれていたかな?でも自分が楽しむが1番。
バドミントンで遊んでいても、子どもの私に思いっきりスマッシュをかましてきて、怖くて泣いたのを覚えている。
パチンコでお金をすっていつも母にねだっていたのを覚えている。逆にもうかれば、天かでもとったかのようにお金を配っていた。
私の進学も就職も気にしない。
だのに、自分の田舎に帰れば何もかも知ったかのように、親戚中に言いふらす。いい父親なんだとアピールするように。そして調子に乗って胸を触ってきたのも覚えてる。その親戚中の中で小学校6年生だった「大きくなったな」なんて、未だに覚えてる。トラウマだ。
そしていつも母には「女のくせに」とか、「余分に短大出やがってとか」
私には「女が勉強なんてしなくていい」とか、「看護師なんか・・・」って忘れない。
父のせいで男性が苦手になった。
そして好きになるのはいつも先生ばかりだった。
父性を求めていたのかもしれない、いや、そうだ。
私はこじらせている。
看護師として、仕事を始めたばかり。
仲良くなった先輩に連れられて、占いだったのだろうか、
「あなたはお父さんに愛されたかったんですね」
その言葉で涙が止まらくなった。
心の底から泣いて、理解してもらえた、自分の気持ちが出せた・・・なんて浄化されたのを覚えている。
確かに父がいやいやながら、仕事だけは真面目に働き続けてくれたから、生活もできたし大学にも行けた(母が上手に工面していてくれたからだけど)
実力主義の時代になっていくなか、職場でうまくいかなくなり、定年の少し前に鬱みたいになって休職して退職を迎えていたな。
父が大腸ガンになったのは、結婚して娘が2歳になったころ。
便秘になって、市販の下剤を買ってきても好転せず、やばいな・・と思っていたが医者嫌いで絶対に行かなかった。(口癖は「医者よりも俺のがわかっている」だ)
おかげで数カ月だましだましやって、引きずるように近所の医者に連れて行った。体重も10kg近く減った。即、大きな病院、私の勤める病院に紹介、受診して即入院。
大腸癌のステージⅣ
ガンが大腸を塞いでいて便の通りが悪い状態。
肝臓にも肺にも骨にも転移があって、手術はできない。
人工肛門を造って便の通り道を作り、化学療法をしていくことになった。
化学療法も吐き気で食べられなくなったり、痛みで通院もままならなくなったり。
入退院を繰り返しながら、なんとも調子の悪い人工肛門(膿むわ、漏れるわ、錯乱した父が剥がすわでとんでもなく大変だった!)と、ガンの痛みと、父の頑固でこだわり強さに振り回されながら、2歳の娘、仕事をしながらの日々。
あの日以上に今のところ大変なことってないな・・・と振り返る。
真剣に仕事辞めたいって思ったのもその時、もう持たないって思ったナ・・・。
心も体も母も私もボロボロ。
そんな中で、もう自宅では無理、と訪問看護師さんが救急車を呼んだ。
「お父さん、入院した方がいいと思うので、救急車でそっちに向かっています」
訪問看護さんから、勤務中の連絡連絡だった。
(そういや、父の担当をして訪問看護師さんが、退院調整担当になったおかげでまた最近出会えたな・・)
父が亡くなって思ったのは、その命をもって父親らしいことをしてくれたんじゃないかってこと。
人工肛門の看護なんて経験がなくてすっごく苦手だったけど、父のグズグズの人工肛門のおかげで、割と自信が持てるようになった。
患者家族の気持ちがわかったり、訪問看護さん、ケアマネさん、自分の病院のいろーーーんな科にお世話になって、自分の狭い世界が広がった気がする。
看護師としてやっていくのに、大切なことをたくさん学べた。
父が自分のためにためたお金で、お葬式代関連も支払えたし、母もなんとか生活できている。これはありがたいだよね・・・ある意味母に対して夫らしいことができたのかもしれない(貯金はパチンコでほぼできていなくて、パチンコしてなければ家が数件建てれるレベルらしい・・・)
あと、頭が固すぎて時代錯誤でいつまでも進歩しない考え方。そのせいで世の中の動きや考え方についていけなくて、タバコにお酒にパチンコに逃げて、ストレスばっかりためていたんだと思う。自分はえらい、男だ、かしこい、こんなはずじゃない、悪いのは妻のせいだ・・・こう書くと本当にひでぇやつだな。
(でも、病院やっていると案外そういう昭和の父親が多くて死ぬほど驚いた!)
反面教師で、頭を柔らかく、いろんな可能性を見据えて、何が起こってもおかしくない、自分でできることは限られている、他者に優しくって気持ちになれるのは父のおかげだ・・・
いくら家族と言えど、仲のいい家族ばかりじゃない。
自分の父親が大嫌いだったから、(愛されたかったけど)それがわかる。
それなりに広く見られるのは、父の父親らしからぬところがあるからかもしれない。
父が亡くなってから、ストレスがすごく減った。心が楽になった。
薄情なのかもしれない、薄情だと思う。
家族ゆえの、悲しまなきゃいけないのかってモヤモヤ・・・。
今日の7回忌、父のことを考えると、少し泣けてきた。
68歳で亡くなった父、まだ若かったな・・・とか、どうして自分の父親だったのかな・・・父がいないと私は産まれてこなかったけど、半分以上感謝する気にならない・・・
天国に行ったのかわからないけど、あの世ですきにやっていればいい。
私もこの世で、やりたいことをやる。
だけど、自分の自信のなさは、父との関係のこじらせがあるのかもしれない…
あぁ、負けたくない。
私の人生は、いくら父がいたからって、私のものだ。
あぁ、振り切りたい。
今日で7回忌。少し思い出したけど、思い出す頻度はどんどん下げていこう。
最低限のことしかやらない。
まじめな母の気持ちに寄り添うこと、お墓参り、掃除、花を変える・・・
でも私は、母がいなくなったら、墓じまいを真剣に考えているよ。
私に残されても、娘に残したくない・・・
ちょっと深々と考えてしまったけれど、前向きに、未来向きに。
私には守りたいもの、大切なものがある。
自分の人生をドライブするのだ。
親のせいになんてしている暇はない。
多くの幸せと、平和と、温かいやりとりを、いっしょに築いていきたいんだ。
こんなじだいだからこそ、軟らかく、しなやかに、どんな人だって、大切にされる世の中にしていきたいんだ・・
自分にできることを目の前のことをかたっぱしに。
あぁ節目の日だったな。
今日の感謝3つ
①お経をあげてくださったお寺さんに。最後のお話で、この世の中はすべて繋がっていて、他人の幸せがあって自分の幸せもあるのだと、自分ばかりじゃないように、なんて教えを教えてもらったナ。
②おじさん、母の兄。元気そうでよかった。決して近くからではないけれど、来てくださってありがとうございました。母の唯一の肉親、お互いに身体を大切に、お元気でいてほしい。
③なんやかやとよく手伝ってくれて、お寺さんのお経の間も静かに正座もがんばるってがんばって、本を見ながらお経もいえて・・・頼もしくなったな・・・感謝。