いくつになってもかわいいものが好き
いくつになっても本を読むのが好きだし
いくつになってもおいしいものを食べるのが好き
(だんだんと重たいものが食べられなくなってきたけど・・・)
ちいかわみたいな、キュートなものが好き。
柴犬のマロ眉毛
アルパカの、のほほん、ふわふわな感じがたまらない。
コツメカワウソもかわいい。
シナモロールもいいけど、シナモンロールじゃないと娘に指摘されてびっくりした!
40も超えて何言ってんだこのおばさんがなんて言われそうだけど。
小学校3年生の娘と、あれがかわいい、これがかわいいと騒ぎ立てるのは癒しの時間だ。
純粋に喜ぶ娘を見ていて、かわいいものを見るトキメキを忘れかけていたけど、
ここ最近は思い出しつつある。
娘といっしょに、イオンに行っては「ふくふくにゃんこ」のショップは欠かさず行くし、調子に乗ってでっかいミケランジェロ(イタリア生まれの三毛猫のキャラ)抱き枕を購入してしまった。
触り心地がふわっふわで、とにかく癒されるのだ。
なかなかに大きくて、パパが夜仕事で不在のときにはパパの定位置で娘の寂しさを紛らわせる役目をする。
私は一生私なのだと思う。
どんなに年を重ねても、ソフトである中身は変わらない。
ハードは年々劣化してきたとしても、認知的な面も衰えたとしても
根本である私は変わらないんだと思う。
結局可愛らしいものも、ずっと好きだ。
大人になってもゲームが好きだ。
じっくりどっぷり本を読みたいが、それはちょっとかなわないかな…
(目が見えるうちにもっと読んでおきたい!)
人に対する世話焼きなところは、年を重ねてさらに輪をかけて世話をするようになった。
若さゆえの恥ずかしさもすっとんでいったんだろうな…。
年を重ねたなりに、その年らしさを見に着ければいいかもしれないけれど
過度に世間一般の、年齢通りに生きる必要はない!
好きなものは好き
嫌いなものは嫌い
得意なことは得意
苦手なことは苦手
それでいいじゃないか・・・
老いるほどにその人らしさを増して、人生に自分だけの彩をつけてほしい。
○○歳だからこうあるべき、なんて、本来の多様性から随分それてしまうでしょう。
今日もかわいいものを眺めて癒されて
(ピンクばっかり!とかは全然好きではない、傍らに置いて静かにほくそ笑むのがいいのだ)
ふふって笑いながら過ごすのだ
たぶんいくつになっても。