娘がプール大好きすぎなので、この3連休は2度もプールにいくことになった。
帰りのランチどこにしようかな?なんて検索していると
ご丁寧にGoogleさんが
「山の日は通常の営業と異なる可能性があります」と教えてくれて、
どうも今日は山の日だったらしい。
山の日に私たち家族はプールに行ったことになんとなくシュールさを覚えた。
娘が大好きな流れるプールで約1時間半流され続けるのはなかなかに面白い。
(実際には1時間中10分は点検&休憩時間で強制的に出なければならないのだが)
なぜか娘がスピードを求めだし、パパを振り切るくらいずんずん進んでいくのは謎だけど定番。
パパ探すの大変なのよ。そしてパパ可哀そう。
公共のプールで利用料もリーズナブルだから
波の出るプールはイモ洗い状態で誰か沈んでやしないかと不安になるほどだった。
ぐらぐら揺られて、流れるプールもそうだけど
水の中で微妙にバランスを取り続けるのって身体にそれなりに負担があるのだと思う。
水揚げ後は地味に疲れている。
40オーバーになって、膝の痛さや体の重さを感じるようになってきた。
まだまだ歩けるけれど、放っておいたら地味に動けなくなっていくんだと思う。
老化もgradation、産まれた時から人生ずっと地続きだ。
ある日気づいた時にびっくりするんだけど、今に始まったときじゃない。
ある日気づいた時ってのは
運動会でお父さんがこける時?
今日みたいに25m泳いだだけでプールでぜーはー言っちゃうとき?
もっと年を重ねて、転んで骨を折ったときなんだろうな・・・
静かに緩やかに、気づかないうちに下り坂の上にいる。
だけど、病院で80歳、90歳の方が手術でしばらく動けなかったとしても
リハビリで着実に動けるようになる人「も」いる。
総じて、畑で、田んぼで、バリバリと作物育ててました!
歩くか自転車乗り回して生活してました!
…って人の方が、動けるようになる確率はかなり高い印象だ。
トイレまで最期まで行けている、やっぱり。
若いうちにどれだけ筋力や体力を思いっきりあげておくか
30代くらいから上がらなくなっても、いかに落とさないようにするか
めちゃくちゃ大事だと思う。
現代はとっても便利になって、
欲しいものは気軽に手に入るし
車や公共交通機関でそう歩かなくてもよくなった。
おじいちゃん、おばあちゃんたちは、不便だったからこそ
ものすごい身体を使っていたんだと思う。
(なんかの本で読んだけど、原始人の人から見たら私たち現代人はとんでもなく恥ずかしい身体なんだそうよ。ちょっと笑った)
それでもこの高齢化社会で、介護の手が足りないんだと。
じゃあ私が高齢者になったときはどうなるんだーい?
(なかやまきんにくん風に)
人口減だからどうにかなる?
いやいや助けてくれる若者たちはもっともっと少ないのよ。
そう考えると、元気でいたいなぁ、ずっと自分のことは自分でやりたいなあ
死んじゃうほんのちょっと前だけお世話になって、ころっと逝きたい
娘にもよその方にも迷惑かけたくないんだ
図体でかい(170㎝がっしり体型)ので介護してもらうのも大変だ
痛いのも苦しいのも嫌
自分のことは自分でやりたい、決定権は自分で持っていたい。
なんて考えてしまう山の日にプールに行った日。